高慢な心

自分ではなかなか気がつきにくいし気がついたとしてもそれを受け入れる事は非常に難しい。
更に言うなら受け入れたとしても改善する事は並大抵の事ではない。

言われるうちが花

という言葉があるように他人に言っていただける間はまだ救われます。自分で見つける事よりも何倍も安易なことですから。
気付かせてもらえる環境がどれほどにありがたい事か、この年齢になってようやく分かり始めた気がする。

自分と言うプライド。

学生〜修行時代。スタイリスト〜独立 そして今まで何もかもがうまく言っていた訳ではないし、むしろ先輩の理不尽さにいつも反発していた。自分のやり方や正論が正しいと思い、相手を納得させるように頑張っていた。
そりゃあきつかったよね。そのうち誰もが自分を相手にしなくなる。自分に対して理不尽な事を言わなくなる。

勝った!と思った瞬間(笑)大間違いだよね。見捨てられたって事だし。。。

今思えば本当に恐ろしい事だよ。

とても自分の視野が狭く「これが正しい」と言う事にこだわり、自分中心に考えていた自分。
もちろん仕事を中心に考えていたからプライベートなんかほとんど無し。

「こんなに頑張ってるのに」「なぜ自分を認めてくれないのか?」毎日毎日葛藤していた自分。
結果を出せばそれでいいのか?お客様に認められればそれでいいのか?

正直いって何をすれば良いのかを見失いながらずーっと彷徨っていた気がする。ただガムシャラに。自分の歩く道とは何なのか。それがようやく最近になって見え始めた。
身の回りに起こる結果や現象。自分自身の心の痛み。

その原因は自分の高慢さにある事にようやく気がついた。

仕事を教えてあげている。
給料を払ってあげている
休みを増やしてあげている
楽しませてあげている
喜ばせてあげている・・・

例をあげたらきりがない。
でもね、相手がいるからこそ成り立っているんだという事実。

「自分はこれだけ苦労して仕事を覚えて今まで頑張ってきたんだ。」という自負がいつの間にか一段も二段も高い場所からモノをみるようになってしまった。

口では謙虚な言葉を発しても心の中は違う。
ぎゃくに心が変われば言葉も自然に変わってくるんだよね。

相手を通して自分が成長させてもらっている訳で、けっして自分1人で成長している訳ではない。
自分が通って来た道だからこそわかる。今こうしてね。
それは決して他人にはわからないもの。その人にはその人なりの歩んで来た人生があるんだから。

それを今までは他人に自分の人生を歩かせようとすることに一生懸命だった。
あいつはなんでやらないのか。せっかく教えてやったのに。。。。

愚痴る自分は何様なのか。もっともっと感謝できる部分があるんじゃないか?

自分の体が不調だったのはきっと体の使い方を長年間違えて来た結果なのかもしれない。

おかげさまであれほど荒れていた手が嘘のように綺麗になりました。ご心配してくださった方々本当にありがとうございます。